
テキスト:幕田けいた/スカルプターズ・ラボ編集部
写真:長尾真志
国内外で高く評価されている現代美術のトップランナー・小谷元彦。少年時代の小谷は、怪獣たちが大暴れする「特撮」に魅了され、育ったという。怪獣デザインや特殊造型は、現代美術足りえるのか?『スカルプターズ・ラボ05 怖い造形特集』発行記念として、映画を偏愛する小谷に「怪獣愛」を語ってもらった!
ガレージキットが好きだった少年時代
——小谷さんの以前のインタビューを拝見していて一番驚いたのが、特撮映画雑誌の『宇宙船』を読んでいたんだ!と。
『宇宙船』は、2号から買って読んでいましたよ。『シネフィックス』同様80年代に少年時代を送った自分にとって、血となり骨となった雑誌ですね。その後、創刊号も買って、50号あたりまで購読していました。今でも全部残しています。『模型情報』も購読してました。
——70年代後半から80年代前半は、造形的にいえば「ガレージキット」、当時でいう「アマチュアキット」が生まれた時代ですよね。
もう少し違う呼び方があるのかもしれませんが、「オタク第一世代」が切り拓いていくサブカルチャーの世界を、再放送を観ながら追いかけていたのが、私たちの世代です。そのムーブメントは、この国の特殊な近代彫刻史とも似た構造が見えてくるし、造形的な嗜好において深く関係していると思っています。
覚えているのは中学生の頃、友人と一緒に大阪・門真市の海洋堂へ行き、自分にとって初めてのガレージキットだった「パゴス」を買ったことです。その時に『造型狂』という海洋堂の本も買いました。京都出身だったので、VOLKSにもよく通っていました。それ以外では、イノウエアーツの巨大なゴジラのガレージキットが忘れられません。とても高価で、子どもには到底手が届かず、ただ眺めることしかできませんでした。「メーカーが作ってくれないなら俺たちがやる」という、あの頃のクリエイターたちの気概を、ずっと興奮しながら見てきました。ただ、当時はフィギュア造形で生計を立てられる時代が来るなんて、まったく想像もできませんでした。
——そういった中で「美術」の道へ進まれた?
当時の私には、表現の器としては「美術」のほうが大きく見えていました。一方で、フィギュアを作って本当に食べていけるのかという不安もありました。あの頃は、造形師も美術家も、どちらも「獣道」のような職業という印象が強かったですよね(笑)。だからこそ、まずは美術の世界で活動しようと考えました。美術の業界に身を置いていれば、いずれ商業的な仕事からも声がかかり、映画などの創作物にも関わる機会が生まれるのではないか、と考えていました。
しかし、その後、国内では美術よりもフィギュアの世界のほうが、サブカルチャーが一般へ浸透していくのに伴って急速に拡大していきました。もともと育つ土壌はありましたが、ワンダーフェスティバルをはじめ、「チョコエッグ」をきっかけに、それまで一部の愛好家向けだったようなレアな題材のフィギュアまでコンビニで販売されるようになり、買い手の層も成熟し、まさにカンブリア爆発のような勢いで進化していったと思います(笑)。フルタの「レイ・ハリーハウゼン リアルフィギュアコレクション」がコンビニに並んでいるのを見た時は、「今見ているものは脳内のバグなのか」と思ったほどでした。
その一方で、美術の世界は、むしろニッチな領域へと向かっていった印象があります。その証拠に、彫刻家や美術家として生計を立てる人よりも、造形師として活動する人のほうが圧倒的に増えました。正確な統計があるわけではありませんが、感覚的にはその差は100対1と言っても大げさではないように思います。
振り返れば、これは私自身の完全な読み違いでした。その結果が、30〜40年という時間を経て、今はっきりと見えてきたのです。
——80年代から90年代ぐらいにSFX映画、ホラー映画は最盛期を迎えますが、小谷さんは「特撮」にも影響を受けているそうですね。
初期ウルトラシリーズの美術監督だった成田亨さんのデザインは、本当に凄いと思っています。成田さんが生み出したヒーローや怪獣のデザインは、日本の創作物の中でも、現代美術作品より一般的に知られていると言っても過言ではありません。これは本当に偉業です。しかも、その人気はいまなお衰えることなく受け継がれています。こうして時代を超え、人の記憶をつないでいけるような作品には、強い憧れを覚えます。
怪獣のデザインをやってみたい
——以前のインタビューで「怪獣のデザインをやってみたい」と仰ってましたよね。
怪獣のデザインは、本当にやってみたいです!
美術業界に身を置く人間として見ていると、成田さんの仕事を評価するための批評言語が、美術の側にはまだ十分に整っていないと感じます。さまざまな美術分野を横断し、融合させながら、この国でしか生まれ得なかった独自の表現として、成田さんの仕事が成し遂げたことは、いまだ正当に認識されていないと思っています。僕はそれが、とても悔しい。
もし成田さんが今も生きていて、着ぐるみという制約から解放された時代に制作していたなら、その意匠はどのように展開していったのだろうか。残された作品を手がかりに、そんな想像をすることがよくあります。
——怪獣のデザインを美術の中に落とし込むということですか。
怪獣の造形物は、物語の中で性格や役割を与えられて初めて、その魅力を獲得し、キャラクターとして確立されます。物語から切り離され、単なる一つの形として美術の枠組みの中に展示されていたら、現在のような存在にはなっていなかったと思います。 そこが難しいところですよね。物語に依存せず、造形そのものだけでどこまで強度を持たせられるのか。これは、僕自身にとっても一つの課題です。
——成田さんや造型を手掛けられた高山良策さんは、前衛芸術運動のダダイズムにも影響されていましたね。
逆に言えば、ダダイズムや前衛美術は「破壊」という意味で、シュルレアリスムは「超現実」という意味で、特撮と非常に相性が良かったのだと思います。そうした美術運動に関心を持っていた人たちが『ウルトラマン』の制作に関わっていたからこそ、あれほど後世に残る造形物が生まれたのでしょう。常に美術の世界をどこかで意識し、その思想や表現を自分たちの仕事へ応用しながら、強い誇りを持って制作されていたのだと思います。「絶対に子どもだましにはしてたまるか」という気迫が、作品からビンビンに伝わってきます。
成田亨さんの怪獣デザインは、アルカイックスマイルに代表される古代彫刻をリファレンスとしながら、当時の現代彫刻の造形感覚も取り込み、極めてシンプルな構成へと昇華されています。そこには、一人の彫刻家としての矜持を強く感じます。
けれど、その一方で、個人的には成田さんの造形とは対極にある存在として、『ウルトラマンレオ』(74)に登場する、訳のわからない「円盤生物」に猛烈に惹かれてしまうんですよね(笑)。
ウルトラリビドーがビビッと!
——円盤生物は本当によく分からないモンスターですもんね。
当時飲み込めなかった『レオ』のエピソードには、常に円盤生物がいるんです。特に恐怖を感じさせたのは、第50話「恐怖の円盤生物シリーズ! レオの命よ!キングの奇跡!」に登場する円盤生物のブニョです。
——狂気じみた星人ブニョの人間態を蟹江敬三さんが演じられていました。
演じる蟹江敬三さんの常軌を逸したような雰囲気も怖かったのですが、「ブニョ」という音の響き自体が、不気味なんです。劇中では、ウルトラマンレオがバラバラにされてしまうのですが、その設定を文字で読むだけでも怖くて、子どもの頃はトラウマものでした。子どもの頃、再放送で『ウルトラマンレオ』を観ていて、ずっとブニョの回を待っていたのですが、その回だけ放送が飛ばされたんです。見たいという好奇心と、見たくないという恐怖の間で葛藤していたので、放送されなかったことに、どこかホッとしたのを覚えています。おそらく、テレビ局の判断で規制されたのだと思います。
その後、『テレビマガジン』だったと思いますが、あの回のスチル写真が掲載されていました。多感な子どもだった私にとっては、リビドーを強く刺激されました(笑)。

——ほかにもいろいろありそうですね。
第1話、2話の『セブンが死ぬ時!東京は沈没する!』では、東京が水没するのですが、あのヌメヌメとした巨大プールで戦うシーンを見た時にも、どこかリビドーを刺激されるものがありました(笑)。『ウルトラマンレオ』は、昭和ウルトラシリーズが円熟しきった時期に制作された作品です。一方で、オイルショックの影響もあって制作予算は限られており、その結果、人型から大きく逸脱した「円盤生物」のデザインが次々と登場しました。しかし、その異形の造形は、私にとっては『モグラ人間の叛乱(The Mole People)』(56)や『蛇女の驚怖』(66)と同じ系譜にある、トラウマ級の造形物です。『愛の戦士レインボーマン』(72〜73)の「土の化身」や、『超人バロム・1』(72)のドルゲ魔人にも同じような造形的恐怖があります。
——たしかに常軌を逸した感じがしましたね(笑)。
造形の怖さ
造形の怖さでいえば、第49話「恐怖の円盤生物シリーズ! 死を呼ぶ赤い暗殺者!」に登場する円盤生物ノーバも思い出されます。一見すると真っ赤なてるてる坊主のようですが、ああいう、デザインしきっていないような無造作さが、とても怖いんです。 着ぐるみということを忘れてしまうくらい異様で、もしあれが現実に現れたら、「もう世界は終わったな」と思ってしまいます(笑)。 円盤生物は『エヴァンゲリオン』の使徒にも通じるものがありますし、何を考えているのかまったくわからない、コミュニケーション不能な存在であることも魅力なんですよね。
——特撮の美術は、独特のセンスがありますよね。昔の特撮の美術スタッフは、現代美術をやっていても食えないから映画業界に来るような感じがありました。光学合成の飯塚定雄さんも洋画家・東郷青児の弟子でした。
東宝怪獣を数多く手がけた利光貞三さんも、私は彫刻家だと考えています。確かに利光さんは、美術業界の中心ではなく、その外周部で活動していた方だったのかもしれません。しかし、怪獣造形において、それまで日本の「彫刻」というジャンルではほとんど使われていなかったラテックスなどの素材を積極的に導入し、独自の制作手法を切り拓きました。 それにもかかわらず、このような重要な人物が日本美術史の中に位置づけられず、「彫刻家」として語られる機会が少ないのは、やはりおかしいと思います。そうした枠組みの設定には、とてもイライラするんですよね。
利光さんがいなければ、初代『ゴジラ』の雛形は生まれなかったし、利光貞三氏が作った怪獣の顔には仏像的なニュアンスが色濃いです。それらの事実だけを考えても、日本の彫刻史の中で正当に評価されるべき存在だと思います。
——誰もやったことがない「怪獣」を作ったわけですからね。
恐ろしいほどの短時間で、しかもかなりの無茶振りからスタートしていたと思います。利光貞三氏には、ゴジラ以前に浅草のお化け屋敷で働いていたという話もあります。そうした背景まで含めて歴史の中に位置づけなければ、美術史としては不完全だと思います。
——その美術業界で特撮を語ることができる小谷さんは凄いですね(笑)。
いや、この学校(東京藝術大学)の彫刻科に来てわかったのは、学生にも怪獣が好きな子が結構いるということなんです。僕らの時代は、大学で怪獣の名前を出して話すだけで幼稚だと揶揄されるような空気があって、そのせいで、すごく恥ずかしいことのように感じていました。今振り返ると、そんなふうに恥ずかしいと思っていた自分が情けなく、悔やみます。でも、今の学生は違います。みんな堂々としている。怪獣の延長線上に彫刻があって、「たまたま彫刻をやっています」というような学生もいます(笑)。
僕自身も、仏像、怪獣、プロレス、映画などを経由して、ようやくここにたどり着きました。
プロレスは怪獣映画と一直線で繋がる
一番、最初、子どもの頃に叔父にプロレスを見せられたんです。それが全日本プロレスの「世界最強タッグリーグ戦」の「ザ・ファンクスVSブッチャー シーク組」だったんです。
——かなり激しい伝説的な試合ですよね(笑)。
あれが、僕にとっての入口でした。あんなに分かりやすい善悪の対立構図で両者がぶつかり合う光景は、怪獣映画とも一直線につながっていますよね。
ザ・ファンクスは登場するとファンにもみくちゃにされ、
——小谷さん、本当に守備範囲が広いですね。
なんでそんなこと知ってるのってよく言われます。複数ジャンルを渡るときに、ところどころで音楽も経由し、現在につながってくるんですよ。ところが、自分の知識を全部うまく使い切れてないのは、困ってますね。
——ありがとうございました!
『ウルトラマンレオ』はウルトラサブスク「TSUBURAYA IMAGINATION」(https://imagination.m-78.jp/)にて配信中!
ⓒ円谷プロ
Profile
小谷元彦
1972年京都府生まれ。
美術家・彫刻家。初個展「ファントム・リム」(1997)をP-House 代官山で開催。ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館(2003)をはじめ多くの国際展に出品。立体作品だけでなく、写真や映像など、多様なメディアを使った作品も発表し、高く評価されている。
開催概要
「なぜこの形を作るのか ーフィギュアと彫刻のあいだで考える造形と価値ー」
ゲスト:竹谷隆之 × 小谷元彦 × GOLEM代表 石野平四郎
日時 : 2026年8月22日(土)14:00〜16:00
場所 : ふれあい貸し会議室 渋谷 No.77
住所 : 東京都渋谷区渋谷2丁目22−6 幸和ビル 3階
参加費 : 2,000円(税込)
定員 : 100名




