小谷元彦の、アート脳で読み解く映画【不定期連載】(2)『現代美術作品の墓場 ―『バックルームズ』に漂着した美術史』

現代アーティスト 小谷元彦が、
映画『バックルームズ』
【STORY】ある日、自らが営む家具屋の地下から異次元へと迷い込んでしまったクラークは、不条理な世界で怪異に直面する。セラピストのメアリーもまた、彼の行方を追ってバックルームズへと足を踏み入れる。この空間はなぜ存在するのか。ここで一体何が起きているのか。
映画『バックルームズ』本予告
Profile
小谷元彦(おだに・もとひこ)
1972年、京都府生まれ。東京藝術大学彫刻科教授。
何もない空間の『気配』
バックルームズの最初のイメージは、2019年に4chanの「disquieting images」スレッドに投稿された空間の一枚の写真である。そこから様々な形で二次創作が始まり、2022年にケイン・パーソンズによってファウンドフッテージ的な映像作品が投稿された。バックルームズにおける「ノークリップ」という、人が壁を通り抜ける設定はゲームとの親和性も高く、二次創作においても重要だが、ゲームとの関係についての論考は他で見つけることができるだろう。
本作品の舞台となる広大な黄色い部屋は、リミナルスペースと呼ばれる。ここでいうリミナルスペースとは、普段人がいるはずの場所が無人となり、人の気配だけが残されたような空間を意味する。私たちはコロナ期に外出が制限され、リミナルスペースのような世界が現実にあちこちで出現するのを経験したこともあり、それが非現実的な場所ではないこと、当たり前の現実が常に状況によって変質することを知っている。これはフロイトの「不気味なもの」の論考で、抑圧され隠されていた「身近で馴染み深いもの(heimlich)=親密な、家庭的な、居心地が良い」ものが姿を現し、「不気味なもの」へと変わることとも通じている。
この概念自体を映像作品で使用した例を挙げるとしたら、映画『シャイニング』のオーバールック・ホテルや、ゾンビ映画でよく出てくるショッピングモール、スーパーマーケットなどがわかりやすい。近年の配信ドラマでは、無機質なオフィス空間が迷宮のように広がる『セヴェランス』が『バックルームズ』の設定とかなり近い。また、迷宮的な空間としては、リンチの『ツイン・ピークス』の赤い部屋や『CUBE』などにも通じている。それ以外にも映画芸術において、特に何もない空間に「気配」を与えるという方法は繰り返し使われており、その例は枚挙にいとまがない。
ロバート・ゴーバー、トーマス・デマンド
しかし、ここでの論考はそこにフォーカスを当てるのではなく、ケイン・パーソンズによる日本公開版『バックルームズ』に限定し、その空間に存在する多くのオブジェクトなどが、美術作品に見えてしまうことについてである。『バックルームズ』と現代美術作品との類似については、私以外にも指摘している人がいるので、重複するものもあるが、ここでは筆者がそこから想起した、歴史上に存在する多くの美術作品を挙げていきたい。
まず、現代美術の知識がある人ならすぐに気づくのは、空間全面を覆う壁紙や、日常的なオブジェクトを制作し、それらを壁に埋め込んだロバート・ゴーバーのインスタレーションとの類似だろう。
そしてもう一人浮かぶのは、事件などが起きた現場から人の気配だけが抜け落ちたような風景を、紙の模型で作り、それを撮影するトーマス・デマンドである。ゴーバーもデマンドも、日常的な空間やオブジェクトを手作業によって作り直し、現実によく似た空間の中にわずかな異質さを生み出している。『バックルームズ』とこの二人の作品は、単にビジュアルが似ているという以上に、見慣れた日常の内部に潜んでいた異質さを露出させる構造そのものを共有しているように思える。
浮上するシュルレアリスム期の絵画群
さらに遡れば、シュルレアリスムの形成に影響を与えたキリコや、荒涼とした無人空間を描いたケイ・セージなどの絵画空間も浮かんでくる。家や室内を型取りすることで、日常空間のネガとポジをダイナミックに反転させるレイチェル・ホワイトリード。実物の家具などを使ってカオティックな空間を構成し、そのなかに危うい人間像を配置するエドワード&ナンシー・キーンホルツ。それぞれ方法は異なるが、見慣れた空間を歪ませることで、その場所が本来持っていた意味や感覚を反転させる点に、何らかの共通項を見出すことができる。
想起されるダイアン・アーバス
一方で、もっと直接的に「まんま」に見えてしまう場面もある。捨てられた古着の山からは、生と死の気配を衣服によって示してきたクリスチャン・ボルタンスキーが浮かび、無造作に積み上げられた大量の家具からは川俣正、半ば崩壊したタイル張りの空間からはジャン=ピエール・レイノーが浮かぶ。そして顔面や手足が重なり合いながら変形していく身体からは、デヴィッド・アルトメドの彫刻を想起した(このような変形は私自身も使用したことがあり、他でもよく見られる傾向ではあるが、その代表的な一例として挙げたい)。
ここからは、私が特に強く想起した作家を挙げていきたい。最初は、20世紀を代表する女性写真家ダイアン・アーバスの《Xmas Tree in a Living Room in Levittown, L.I., 1963》である。居間の片隅にひっそりと置かれた巨大な「クリスマスツリー」の写真には、不穏な空気が漂っている。『バックルームズ』では、暗転した部屋にクリスマスツリーが置かれ、この部屋を境に、それまでとは異なる「気配」が明確に現れ、物語は急速に展開していく。
ダイアン・アーバスは、社会の周縁にいる人々や、日常のなかに潜む違和感を捉えた写真でも知られている。そうしたアーバスの写真に漂う、親密さと不穏さが同居するような感覚まで含めると、もちろん偶然の重なりに過ぎないが、このスペースだけでも、幾つものイメージや連想が重なっているように思うのだ。
ちなみにダイアン・アーバスの双子の写真は、リミナルスペース映画とも言える『シャイニング』の双子にも影響を与えたとされており、今回アーバスを思い出す契機になったのかもしれない。
音、空間認識、ブルース•ナウマン
また『バックルームズ』では、ケイン・パーソンズ自身が音も手がけており、不安を煽る要素としての音響効果へのこだわりも大きい。蛍光灯のハム音も印象的だが、空間に響く人間の声など、震えるピッチの音は「気配」に満ちている。これはブルース・ナウマンの作品体験とも似通ったものである。ナウマンの作品では、叫ぶ映像作品の音が回廊空間内に響き渡り、それが聖なる声のように聞こえる作品がある一方、防音装置によって鑑賞者の感覚を遮断する作品もある。さらにナウマン作品に関しては、音だけではなく、ビジュアル的にも繋がりがあるように見えるのだ。ナウマンのネオン作品が明滅するように、『バックルームズ』では蛍光灯が不規則に点滅する。監視カメラで監視する作品や、上下逆さまになったり不自然に傾いたりする鉄製の椅子の作品、剥製の芯材を不自然に結合させた作品など、ナウマンの作品を体感するような心理的な圧迫効果と似たものが、映画内でも不安を増幅させる体験として成立している。
16分の追加映像とミニマリズムの手つき
終演後、16分の追加映像として上映されたファウンドフッテージ映像は、いわば映画内の設定の詳細をさらに明示するものであった。つまり、それらは人間の手で埋め込まれたものではなく、何らかの未知の力、あるいは存在によって仕込まれた可能性がある。そうした現象を人智を超えたものだと判断し、何らかの数学的な法則性があるのではないかと推測し、調査していた。ここには、ドナルド・ジャッドの作品に見られるように、人の手が見えないことでオブジェクトの存在自体が変質するという、ある意味でミニマリズムの手つきが介在しているようだった。
現在21歳のケイン・パーソンズが、このような美術作品からの援用を意識していたわけではないだろう。むしろ、ここまで多くのものが見えるのは、VFXや編集、音楽までを自身で手がける彼の制作のあり方と、ネット上の膨大なイメージに囲まれて育まれてきた感性によるところが大きいように思う。世代的に、SNSでチェーンリアクションのように紐づいて出現する画像を見ているうちに、美術史上に存在した造形も含め、出典や文脈の異なる無数のイメージが、その出自を意識しないまま蓄積され、それらを脳内で直感的に再構成していったのではないかとも感じている。同時にそこには、人間の空間認知とは何かという根源的な問いがあるように思う。その結果、偶然にも、多くの作家たちが探求してきた美術におけるインスタレーションの領域へ、主人公クラークのように迷い込んでいたとも考えられる。
イメージの再構築とファウンド・オブジェの手法
そもそも、そのようなイメージの再構成という意味では、ケイン・パーソンズが作ったファウンドフッテージとしての『バックルームズ』自体が、最初に4chanに投稿された一枚の画像を元に創作されたものである。その手法は、すでに存在するものを別の文脈へと移し替える、美術におけるファウンド・オブジェの考えと非常に似ている。『バックルームズ』のリミナルスペースには、美術作品のようなものがホワイトキューブのような無機質な空間に放置されているようにも見えれば、展示されている様相にも見える。そこから、作品が捨てられた墓場のような「気配」が漂うのを感じたのは、不思議ではなかった。
まだ他にも指摘できる箇所はたくさんあるが、このように『バックルームズ』には、多くの現代美術家が探ってきた造形や空間のあり方を、リミナルスペース内で発見する楽しみがある。
テキスト:小谷元彦(美術家・彫刻家)
映画『バックルームズ』大ヒット上映中
監督:ケイン・パーソンズ
出演:キウェテル・イジョフォー、レナーテ・レインスヴェ、マーク・デュプラス、フィン・ベネット他
配給:ハピネットファントム・スタジオ
公式Instagram https://www.instagram.com/backrooms_jp/
公式TikTok https://www.tiktok.com/@backrooms_jp




