【後編】土方歳三の末裔が公式監修、 新選組結成当時の「鬼の副長」を再現。タナベシン「土方歳三」胸像制作インタビュー

新選組副隊長「土方歳三」の胸像が、新選組ゆかりの壬生寺で披露されました。スカルプターズ・ラボでは、前編・後編に分けて制作の裏側をお届け!【後編】では、本作が完成するまでのワークフローをお聞きしました!

 

 

 

【1】雛型を作る

——後ろの画像は?

この画像は実際の写真(左)をPhotoshopで雛形写真に合成したものです。上から髪の毛を描いて、和装の写真を拾ってきて、合成して一旦イメージ写真を最初に作りました。

雛型

【2】粘土原型

——使用した粘土は?

雛型はNSP粘土です。3つ使ったかどうか……NSP粘土は雛型用だけで、本番サイズは従来のやり方で水粘土で作りました。NSP粘土の方が正確に綺麗に作れるんですけど、今回はお侍さんということで綺麗というよりも、ちょっと荒々しさみたいな手のタッチを残したかったんです。水粘土は150㎏くらい使いましたね。どのくらい使うか全然分からなかったので、とりあえず最初40㎏使ったんですが、全く足りなくて。30㎏追加して、また30㎏追加して…みたいな感じでした(笑)。

——中に木組みが入っているんですね。

そうです。そんな複雑な形じゃなくてもいいんですけど…。
雛形を拡大した写真をバックにしているんですが、目の位置とちょんまげの位置をきっちり合うようにするためには、木組みが可動していた方が合わせられるだろうなと思いまして。若干複雑になってますね。

——蝶番みたいに動く?

動きます。動かして決めたら、ネジで止めて固定します。木枠が少しでも動くと、水粘土はめちゃくちゃ重いので垂れてきちゃうんですよね。

——そのあとに、発泡スチロールで肉付けをしていく?

そうですね。ちょっとでも軽くしたかったので、木組みの外に巻いて、粘土を底上げしました。そのあとに粘土の食いつきをよくするために「麻紐」でぐるぐる巻いています。

——造形にかかった時間は

オンオフというかちょこちょこと。集中して制作したので、1ヵ月かかってないです。制作途中では水粘土の乾燥を防ぐためのビニールをかけて。常に霧吹きで表面を濡らして覆っていかないとカチカチになってしまうので、作業していない部分は常に覆っています。

——完成した原型は、タナベさんが運んだのですか?

僕が自分の車で粘土原型を富山まで持っていきました。めちゃめちゃ怖かったですね、木で檻みたいなのを作って、車の荷台にガッチリ固定して絶対倒れないようにして運びました。

粘土原型

——後ろの髪の毛の造形は?

実は、中にガッチリ針金で作った芯が入ってるんです。着脱式にしていたので必要ないときは外して、細かい部分を作業するときは別のテーブルで作業していました。

粘土原型

【3】石膏型から樹脂原型を作る

石膏型

——「ブロンズ鋳造」について。

銅の鋳造は富山県の高岡市にある工房でやっていただいています。まず水粘土の粘土原型を石膏で型取りしてFRP樹脂で「樹脂原型」に置き換えます。それを元に「ブロンズ鋳造」という鋳造するための砂型を作ります。この工程は、60~70年くらい前から、FRPが比較的安く手に入るようになってから始まっていると思います。元来は水粘土から直接型を作ってたらしいですが、便利で軽くて丈夫な樹脂があるということで、それを原型として砂型を作るっていうことになったらしいです。
 

石膏で型取ったあと、FRPに置き換えた樹脂原型。

 

【4】砂型で型を取る

——何で型取っている?

「砂型」っていうものでかたどっています。要は砂が元なんですけど脆いコンクリートみたいなものと考えいただけたら…。厳密にいうと炭酸ガスを吹き付けると固まるっていう特殊な砂なんです。

砂型

——FRPの色が黒いんですね!

これは、片取りした人の好みです(笑)。職人さんが「黒が好きだから」って言って、黒い樹脂原型を使用しましたが、別に色は関係ないです!白で作る人もいます。
「砂型」は鋳物砂を平たくしてガスを入れると固まるので「ガス型」とも言われてます。パサパサはしているけど粘土みたいに細工ができるので、型に貼り付けて形を整えてガスを吹き付けると固まるんです。
型を作ったあと、中の原型を取り出すため型を外すんですが、原型自体がカチカチなので型はパズルみたいにバラけるようになっています。

——バラバラになった砂型をどうやってくっつけるんですか?

針金が中に入っているんですよ。くっつけて入ってないのもあるのかな?お互いが付け合うからそれを大きな型枠ではめていたり、針金同士で中にくっつけているみたいな、いろんなやり方があるんだと思います。

——ズレないんですね!

ブロンズ像って中が空洞じゃないですか。なので、空洞になる部分も作らなきゃいけないんですよね。その部分の型を「中子(なかこ)」っていうんですけど、中子を入れて蓋を閉めて、中子と一番外枠の間に7mmの隙間が作ってあって、そこに銅を流し込むんです。
 

砂型

——「中子」はどうやって作る?

樹脂原型をもとに砂型の一番外側を作って、樹脂原型を外して、お椀型の雌型ができます。この内側に平く伸ばした油粘土を貼っていくんですが、厚さ「7mm均一」がこのサイズぐらいの鋳造物には適した厚さらしいです。
 

①雌型の砂型の内側に7mmの粘土を貼る。
②その内側に砂型と同様の砂を詰める(中子)。
②と同時に中子を雌型内に固定するための鉄棒などを仕込む
④中子を固める。
⑤固めて外したら、7mm粘土の部分を外す。
⑥雌型と雄型の間に7mmの空洞ができる。ここへブロンズを流す。

 

【5】銅を流し込む(鋳造)

——どこから流すんですか?

頭を下にした状態で脇の方から流していました。

ブロンズ(青銅、厳密にはスズなどを混ぜた合金)は大体1200~1400°で溶かしてます。大きさや気候によって微妙に変えているそうですが、ガスバーナーの火力で溶かして、金属でできたバケツの釜から、水みたいに砂型へ流し込みます。バケツみたいな釜をクレーンで吊っているんですけど、2人の職人さんが両方で抑えて調整しながら高温の金属を入れるんです。この写真は高いところから撮ってるんですけど、この下に1メーターくらいの釜があって、ちょっと高いところに立っているんですよね。

めちゃめちゃ危険ですよ。ちょっとでも着いたら完全に皮膚が溶けますよね。これが毎回大迫力なので「これは見た方がいい!」って僕が激推しして委員会全員で見学しに行きました。これはもっと知られてもいいんじゃないかって思うんですけど(笑)。いかに大変な作業なのか分かっていただけたらいいなって思います。

——どれくらい時間を置く?

胸像サイズだと丸一日冷めるまで待ちます。熱で溶かした金属なので冷めると同時に若干縮むんで、次の朝に叩き割りました。

【6】脱型

型が一個ずつパズルみたいになっているので、顔中バリだらけです。体の周りに棒が通っているんですが、プラモデルと同じ原理で本体に直接銅を流し込むのではなく、周りにチューブ状の空洞を作っておいて、そこから流して本体に流し込んでいるという流れです。細かく付着した砂型をサンドブラストで全部吹き飛ばして、金色の地金(じがね)とっていう銅の地肌を出して顔中バリだらけの金色の歳三さんが出てきたって感じです。

【7】着色

——研磨したあと、渋い色になる?

色んな着色技法があるんですが、本作だとお侍さんなので渋く着色して、強制的に薬品を塗って表面を酸化させて古い10円玉のような状態を作り出してます。

着色

——腐食液みたいなものを使用された?

そうです、硫黄系の酸性の薬品、硫化水素だったかな?それを塗れば塗るほど黒くなるので古い状態を作ることができます。あとは磨きとか光沢を出すために色をつけています。

 

【8】設置〜お披露目

——像は置いているだけ?

接着してボルトで固定してます。石の台座にボルトが両方はまっているというか、接着剤と一緒にボルトにはめてる感じなので通常押しても人間の力では絶対にまず取れません。

——台座の石は?

御影石を使用しています。近藤勇の台座はひと塊りの岩で作ってあるんですが、土方恵さんの希望もあり、とにかく近藤さんより豪華にしてはダメっていうのがありました。歳三さんは、近藤勇さんを上げるっていう役目と見劣りしないようにするために、御影石の板を四面から張り合わせて作ってます。「割肌」という処理で荒々く削った表面にしました。

——「土方歳三之像」という文字は?

壬生寺の貫主、松浦俊昭さんが書かれて、それをもとに業者さんが削りました。委員会の人とお話しして「住職に書いてもらおうや!」ってなりまして。像自体も半永久的にあるわけですから、この文字を当時の住職さんが書いたっていうことで記念にもなるということでそうなりました。

——タナベさんのお名前は?

裏に入ってます。石の台座の裏側に行くと関わった人間たちの名前が書いてあります。それはぜひ現地で確認していただきたいって感じですね。銅像が立っている隣にはクラウドファンディングにご支援していただいた人たち800人分の名前も書いてあります。

 

 

Profile

タナベシン

伊勢志摩出身。物心ついたときから工作好きな少年だった。ガンプラは小学2年からずっと作っていて、プラモが手元にないときはその辺にある素材でなにかしらを作っていた。
小学6年生のときホラー映画にハマり(80年代ホラーブーム)、そこから急激にクリーチャーや特殊メイクに興味を持つようになる。粘土ではなく、針金でエイリアンを作ったこともある。胸から腹までぱっくり割れて心臓や飛び出した腸が仕込んである人体解剖模型みたいなのを粘土で作り、母親を心配させたことも。また、中学生のころに粘土で『バオー来訪者』のバオーの胸像も作った。

大学の専攻は工業デザイン。当時は模型や造形は趣味程度で、原型師になるなんて全く思っていなかった。
特殊メイクに異様に興味があったので、専攻に関係なくハリウッドへの思いが段々と強くなり、卒業後まもなくして渡米(ロサンゼルスへ語学留学)。あても全然なかったが、コネクション作りも兼ねていろいろ出かけ知り合いを沢山作っていく中、フィギュアメーカーで働いている友人が出来て、ちょうどその会社が社内原型師を探しているということで、就労ビザを得るため間髪入れずに面接に行く。
フィギュア制作はあまり人生プランに入っていなかったが、運よく社長に気にいられ即採用、めでたくビザもゲット。
会社でフィギュア原型を制作していくうち、フィギュアというものにのめり込んでいったのでその流れで原型師に。

2007年に帰国。アメリカ生活で強烈に魚に飢えていたので実家の漁師町は天国すぎた。さらに釣りにどっぷりハマり、本当は一時帰国で1年後にまたロスに戻る予定だったのを蹴って、志摩市に住むことを決意。都市部へのアクセスは非常に悪いが、大抵のものはネットで揃うのであまり不便さは感じていない。一番の泣き所は映画館が遠いこと…。

X(旧Twitter):@tanabeshin